2011年3月18日金曜日

東北関東大震災>安否


若林区の早川さん達無事だった!


先ほどメールが入った。一安心である〜。明成高校の石丸先生も。


From:   早川
Subject: Re: 地震
Date: 2011318 22:53:42:JST
To:   志波

志波靖麿様
  早速のお見舞いありがとうございました。やっとメールが出来るようになりました。それにしても大津波の恐ろしさは、凄いというほかありません。当会の仙台湾内の50の調査対象海岸の砂浜は、すべて消滅してしまいました。復旧するのは、いつのことになるか?想像がつきません。今まで収集したサンプル砂は、貴重な財産になると思います。
  私事:自宅の家具や家電は吹っ飛び、食器や本類が散乱、足の踏み場がない状態でした。幸い家族(夫婦・子供2人)全員怪我もなく無事でした。13日に電気・水道が復旧し自宅で生活しております。今は後片づけに汗を流しています。物資不足でサバイバル生活ですが、これも貴重な経験と楽しむようにしています。とりあえず御礼と近況報告まで。



東北関東大地震


計画停電で俄の行灯



 停電のためにロウソクは準備していたが、巧く燃え上がらず灯りが弱くなった。ロウソクは琴ヶ浜に漂着していた太いロウソクである。漁船が使っていたものであろう〜。

琴ヶ浜で拾っていた3cm直径ほどのロウソク


 大森銀山の竹下ブリキ店から貰っていたカンテラを灯そうかともおもったが、灯油を入れるのも暗い中無理と判断。

 竹下ブリキ店で、油は菜種油ということを聞いていたので、使い終えたサラダオイルを使って見ることにした。芯は木綿のタオル。化繊は駄目であるということは実験で知っていた。

 油皿は、広島の友達から1月に贈ってもらっていた牡蠣の蠣殻である。石見銀山の間歩で初期のころ使っていたのはサザエ殻であるという。その縁に、アルミの針金で芯を固定して灯した。箸の材料(杉材)を使い、適当な太さ、長さに切り小さな木ネジで簡単に止め、糊を木に塗り四角く障子紙で囲う構造として俄に作った。
 ランプ皿は直径35cm、深さ3cmほどの水鉢にセットしそれに四角柱の行灯を乗せ、火を囲った。

左:缶詰缶 左:蠣殻
芯はアルミ線で綿布を固定した
油が無くなるまで燃やしていないので
最後の芯がどのように燃え尽きるか〜


 ロウソクよりも火も高く明るく、使える。琴ヶ浜で体験した行灯を俄に作った。作り終え、さ〜点灯という時に、通電した。それでも電気を消して灯してみた。良い雰囲気である。
障子紙で囲った四角筒の行灯
写真では暗そうですが、結構良いです〜




2)行灯をつくる新しい研究課題が出来た

 安全なカンテラ
  オイルタンクのサイズ、容量
  芯の誘導法:金属筒、陶器(セラミックス)ーーーアルコールランプを参照
   パイプにしているとオイルが無くなっても炭化は進行しない?
  芯のサイズ
  芯の材質
   グラスウール
   藁、葦など(広島の友人の使用材)天然物
   木綿布
   竹や竹炭など
   和ロウソクの芯は何
  転倒しても燃え上がらないカンテラ構造
  転倒したら火を消す方法

 オイルの種類
  価格
  熱量
  輝度/ml
  灯油
  サラダ油
  オリーブ油
  燃焼匂い
   アロマを混合したらどんな香りがするだろうか?

 行灯の囲い
  障子紙
  薄い白布
  形状
  火元と囲いの安全な距離と明るさの関係

 行灯の構造
  円筒
  角(四角、六角〜)
  不定形

 提灯?


3)廃油の利用
 
 いままで天ぷら油は、堅め剤で固めゴミとして捨ていている。しかし、今回の経験で巧く使えば、

  1. 玄関先の街灯や庭の灯籠灯りに使えるかも知れない。
  2. 暖房油に使えないか。

そのためには、第一に安全なカンテラの研究である。



 

砂嚢の砂の形は?


砂の研究
-砂嚢への好奇心-



 6月10日ビーバーどの焼き鳥屋さんから紹介してもらった鶏肉の処理会社へ行ってきた。前日に電話して、15日に良いですということでミュージアムの車で出かける。電話で道を聞いていたが、間違えて三瓶の方へ行ってしまった。田舎であり、民家も少なく、訪ねることもできず、電話もないのでこんなときは都会と違って不便である。しかし、田舎でありちょっと訪ねるとその場所はすぐにわかった。これがまた田舎の良いところである。一軒の道路沿いの民家に飛び込んだ。丁度、お茶飲み話しをしていた老人がおられて、最初はわからなかったが、「あ、それならもう少し下って最初の橋を左に入って行けば一本道で、2キロくらい行ったところですわ。ちょうどこの山の裏あたりですが」私は行き過ぎたことがわかった。その橋はすぐにわかって、一本の幟が立っていて、目的の工場もすぐに見つかった。山の中の小さな工場であった。
 工場のスペースに車を入れた。事務所は、工場の向かい側にあり、錆びた鉄の外階段を上がった所である。車を停める音で事務所の窓が少し動いた。
 「お邪魔します」二階の事務所のドアを開けた。「ハイ、、、どうぞ」30歳後半だろう事務員の方が一人事務を執っておられた。「ミュージアムから来たんですが、、、」「ハイ、部長から聞いております。どうぞ。今日の鳥は、平鳥ではないのでどうだろうか?」私が気にしていたことであった。平鳥とは路地で飼われている鶏のことである。この鳥だったら、砂嚢には砂が入っていないだろうと想っていたのである。きっと、あの焼き鳥屋さんが先日電話されたときに話題になって、「地鳥と平鳥では胃袋の中がちがうだろうな、、、?」「わしらも気に留めていなかったが、何でこんなところまでしらべられるんだろう、、、」なんて話しが持ち上がっていたのであろうと、その事務員の方のその話しから伺えた。工場長に話しがついていますので工場へ行ってください。「あの、これほんの少しですが皆さんで召し上がってください。」「や、すみません、ありがとうございます」
 「工場?」車を停めたところがそうだとは思ったのだが、人がいるような気配はまったくなかったが、それでも機械があり、使った様子は窺えた。入り口とは思えないような引き戸の扉を開けてはいると、7人ほどの人が向かいあって二列で肉を処理されていた。「あの、、、」「はい、どうぞ」「お忙しいところ申し訳ありません」「用意していますので」と30歳くらいの若い工場長が仕事を中断してきた。私の姿をみて、「ちょっと待ってください」といって、白い長靴を持ってきてくれた。長靴に履き替えて作業場に入った。作業場の一番奥の所へ案内してくれた。皆さんが一斉に会釈してくださり、私も遅れずに挨拶した。室内は鶏の肉の匂いが漂っていた。あまり見たことの内、赤い肉で、「あ、これがさんべの鳥なのか、、?」と、左手にその盛られていく肉を見た。 そこには、洗面器いっぱいの砂嚢が用意されていた。工場長はすぐに砂嚢の切り方を見せてくれた。「これは地鳥ではないから、牡蠣がらばっかりだよ」その通り、蛎殻が入っているのが見られた。切られた砂嚢の中が、黄色になっていたのには驚いた。これは餌に栄養剤などが入れられているのだろうかと想像した。
 一人の50歳くらいの奥さんが、白いゴムのエプロンを私に掛けてくださった。「軍手もどうぞ。」真新しい軍手が用意されていた。「けがするといけませんからね」「そうですね。ありがとうございます」わたしは肉が滑るからかとおもった。数人の人が、左手に軍手をしていた。
 すぐに、処理に取りかかった。包丁は相当に使いこなされているようで、刃先はもう柄のところまできているようなものであった。しかし、良く切れた。やはり事務員の方が言われていた通り、そしてわたしが想像していた通り、胃袋からは砂らしきものは見えなかった。切りながら、どんな形状になっているだろうか。丸くなっているだろう?丸くなっているというのは、全部ではなく、丸いものも角張ったものもあるだろう。だって、いま食べたとき、この運命になったものもあるはずである。そうなると、もまれていないはずで、砂や牡蠣がらは角張っている。そうか、そうなると、想像していた粒子の丸さというのは、どれくらいまでになっているのだろうかと、考えていた。よく見ると、餌がたくさん入った砂嚢、少ししかないもの、いろいろであった。地鶏のものも調べてみたいとも思う。
切り開いた砂嚢の内部


砂嚢の中から得られた砂

 切ったのは全部で43個あった。これでどれだけの物が取れるのだろうかと楽しみであった。途中、デジカメと普通の写真を数枚撮った。ひらり手の軍手は、鳥の脂で黄色くべた付いていた。切ったものを水洗いした。洗面器の中で何度かデカンテーションした。黄色いものは、トウモロコシの餌でもあった。しかし、砂嚢の表面は黄色みを帯びていた。軽いものがどんどん流れていった。そこではやはり砂らしきものは見えなかった。片手の手のひらに納まるくらいの砂、貝がとれた。
 工場長がビニール袋を出してくださった。一時間も掛からずに私の仕事は終わった。プラスチックスのまな板や包丁、片一方の軍手を洗って、お礼を言って作業場をでた。事務所に上がり、挨拶をする。「とれましたか」「え、貝が多いようです」「そうでしょう、、、今度地とりが入るのは何時かな、、、」カレンダーを見ながら、地鶏だったら砂が入っているだろうことを気にしてくださった。「今月はもうないですね」「、、、ありがとうございます、、、今月は私もいませんので、またのときにお願いします。安田部長さんによろしくお伝えください。ありがとうございました」鉄の階段を、トントンと響かせながら降りていった。会社の周りの写真を数枚撮った。有限会社内外食品。
 途中、山道の地名の入った看板を記念に写真に収めた。牛尻とあった。
帰って、ルーペでよく見てみた。大半が、白濁色の2-5ミリ程度の物であった。透明感のあるいわゆる珪砂は全くといってよいほど入っていなかった。それでも注意してみると、1ミリ程度の珪砂が入っていた。それは角張っている。「?珪砂は硬すぎるのだろうか、、、それとも他が多いから珪砂は表面の摩耗がされないのだろうか、、、白色の物は、貝なのだろうか、それとも長石なのだろうか。長石なら、最初から餌の中に混ぜられているのだろうか、貝が摩耗しているが、それはカルシュームを取ることになる。、、、」「砂が入っているのと、このように貝が入っているのでは、消化力がちがうのではないだろうか。そうなると、鳥の成長も違ってくるだろう」と、餌の開発についての興味が湧いてくる。砂がたくさん入っているなら、同じ胃袋の動きでもそれだけ簡単に消化されるに違いない、、、粉砕機の構造を考えた発想である。それにしてもこの貝や石は、どう体内を動いていくのだろうかと想像した。
 2000.6.18、志波

琴ヶ浜の砂はどこから(2)



琴が浜の海底の砂をサンプリング

琴ヶ浜の海底砂のサンプリング位置
〜琴ヶ浜の砂はどこから(1)につづいて〜

 琴が浜の砂が海側からきているとする説があり、砂の動きを考えると一理あると思われる。図のような位置で、海底の砂のサンプルが採取できた。
 その写真を上図に示したが、琴が浜の沖にいくにしたがって、
(1)粒子は細かくなり
(2)粒子の形がイレギュラーに
なってきていることがわかる。
 このことは、琴が浜の砂は、海側から流れ込んできているとは考えにくい。もし、海側からだとすると、理論的に考えて、沖の方が荒いはずである。結果は明らかに逆である。
 琴が浜の砂は、
(1)陸側から来たと考えることが
(2)琴が浜の砂は、沖へ流れ出ているというこも無い。
 現在の琴が浜の砂は、ここに砂ができた太古の昔からの砂であると考えられる。
 このような仮定をすると、琴が浜の砂が、こんなにも美しい光沢を帯び、そして良い鳴り砂になっていることの説明がつく。
 もし砂の出入りがあるとするならば、折角洗浄されたものが隣の浜に移動してしまい、そして供給が無ければ砂は無くなるであろう。もし、浜に新しい砂の供給があるなら、たとえば、言われているような江の川から今も流れ込んでいるならば波の洗浄力で磨かれるには時間が短すぎるであろう。そして鳴り砂になることは無いであろう
 このことは、人工鳴り砂洗浄実験を考えても理解できる。短時間の砂の洗浄では人工鳴り砂はできない。次々に新しい砂を追加することはしない。最初の砂を長時間洗浄し続け、長時間同じ砂を摩擦洗浄し続けなければならない。砂が無くなったからといって、新しい砂を追加してはいけない。
 もう一つの例を示そう。わたしは、鶏の砂嚢を考えた。砂嚢を調査するまでは、きっと砂嚢に入っている砂は、丸々しているのではないかと、砂嚢の中の砂を観てみたくて仕方がなかった。そのことを昨年実現できた-大田市、(有)中外食品にお邪魔して、砂嚢をその場で解体させてもらったが、実際は、角張った砂(貝殻)がたくさん入っていた。逆に円みのある砂は少なかったのである。これは考えればすぐにわかることである。歳取った鶏はきっと砂嚢の中の砂はすり減っているだろうと期待が膨らんだが、その鶏でさえ、胃袋に入って
http://www.f5.dion.ne.jp/.yshiwa/singigsand/kotogahamaseabottom/kotogahamaseabottom.htm (2/4) [2003/04/09 20:06:32]
いる砂粒は、殺される数時間前に食べた餌の中の砂が入っているのである。これでは円みのある砂になるはずはない。
 琴が浜の砂は、鶏の砂嚢の中の砂の考え方と逆である。まさしく海は大きな洗浄装置なのである。その砂は太古の時からそこにあり、洗浄されていると考えてたら琴が浜の鳴り砂の素晴らしさが理解できるではないか。これが琴ヶ浜の鳴り砂が素晴らしい音を発しているという理解のための私の結論である。
 琴が浜の砂は、何万年もの昔からのもので、その頃から今日まで絶え間なく海の波の運動で洗い続けられてきているといえる。そしてこれからも永遠に洗い続けられるであろう。
 砂浜の幅が狭くなったとか広くなったということがいわれるが、そのことが事実ならば、海底の砂の位置がこの浜の範囲内で移動しているだけだと推測される。人口リーフで浜が狭くなることはあるにしても、砂が琴の砂が、浜全体として無くなるということも考えられない。
 砂の写真を見てわかるように、沖にいくにしたがって粒子の形が角張ってきている。このことは砂の動きが弱いことと、砂同士の接触がほとんど無く、擦れ合っていないことを意味し、砂の動きも小さいと考えられる。海底では鳴り砂になる洗浄効果は無いのである。
 この結果から、砂の摩擦洗浄は、波打ち際の砂の動きによってのみ行われている、と結論つけられる。
 湿式の粉砕を考えた場合、どろどろのスラリーで粉砕すると、粒子同志の接触回数が増え、粒子の表面が丸みを帯びてくるという研究結果を得ている。これはラッピング用研磨材をつくる場合の重要なノウハウである。自然の鳴り砂は、このような機構で擦れ合うことにより、堅い石英粒子に豊み、表面の異物が除去されていき、光沢のある砂粒へと変っていく。
 これが鳴り砂の生成のメカニズムである。

 あの寄せては返す波
愛は永遠にという言葉があるが
浜の砂のように絶え間なく擦れ合ってこそ
素晴らしい愛が交合い成長するのであろうと思えてくる
愛は、絶え間ない波の動きのように生き続け
そこに鳴り砂の砂のように光輝く愛があってこそ、永遠なのである
お互いが丸くなり、相手を理解し許し合える間になってこそ
そこにほんとうの愛がある
 
http://www.f5.dion.ne.jp/.yshiwa/singigsand/kotogahamaseabottom/kotogahamaseabottom.htm (3/4) [2003/04/09 20:06:32]

2011年3月12日土曜日

東日本大震災



 名取川や阿武隈川が注ぐ仙台湾。そこに鳴り砂の浜の研究家の友人がいる。メールしても送れない!また明成高校も鳴り砂の研究をしているがその担当教諭にメールしても通じない。少々気になる。皆さんの無事を祈る。


2011年3月6日日曜日

11年前の旅館のがわや水琴窟

旅館のがわやの水琴窟特性








ソバ粉のフルイ



ソバ粉のフルイ


 ソバを打つときの一つの道具として、粉を通すフルイが使われる。私はフルイについての研究をしていたので、早々に作った。網は丁度良いものを網メーカーからサンプルとして貰っていたのでそれを使った。




 サイズをどれくらいにしようかと、設計。写真のようなサイズを、八角形とした。
網目は、496ミクロン、線径0.23mm、材質SUS304。

 結果はちょっと大きすぎた。ソバ打ちが巧くなって一回辺りの量が多くなれば最適な良いサイズになるかも知れない。枠は、ウツギを木釘として削りだし、強度を増すようにボンドを使い打ち付けた。仕上げはサンドペーパーを掛け、クリアオスモカラーを塗った。
 それに網を固定するのに難儀した。溝を切ったが網を合わせるのが上手くいかず、少したわみが出た。それでも何とか出来た。

 使い勝手を試さねば!

 
 

2011年3月2日水曜日

携帯の箸置き



マイ箸ケースに箸置きを

 箸ケースを作っているが、箸を入れたときスペースが出来た。アッここに箸置きを入れたらいいなと思い、早々に作ってみた。ケースの竹の大きさによって箸置きの構造、サイズを考えねばならなかったが何とか第一作が出来た。

 一つ一つケースに合わせて作ることになりそうである〜〜〜

箸ケースに収めた状態

箸を置いてみた状態




2011年2月25日金曜日

練鉢の作り方

練鉢の作り方

一般に練鉢は栃を使うという。
大きな栃を切り倒し、冬の雪の多いときに里に下ろし、2,3年寝かして、更にサイズにかっと、芯を取って更に数年寝かす。その木を使って図のように削り出すという。

 木の輪切りではないと言うことを知った。

寒いところの木が良いものである、と。





画像投稿チェック

先の画像が投稿して小さくならない
もう一度同じ画像をアップしていみる。



上手くいっている!

2011年2月24日木曜日

黒竹ベースの箸箱

箸箱


黒竹をベースにしたいろいろな箸箱

船は半割の黒竹、蓋は胡麻竹を板にして使った。
蝶番は化繊の糸。


上:黒竹の太い竹の中央部分を落とし、弦の中心をずらして合わせた。
下:黒竹を半割し、胡麻竹を板にした蓋箸箱。断面は半月である。  
蝶番は化繊糸で3ヶ所設けた。              

底に印した華押。

開いた状態で底面から見たところ

箸箱の頭部は、竹板を貼り合わせている

蕎麦用の箸を並べてみた。箸は四角で蕎麦やうどん用
蝶番の様子を見てください。


箸を入れた状態


 黒竹をベースにした箸箱つくりにチャレンジ。2,3日前から作り始めたのでまだ形は決まっていない。



ソバ打ち個人指導

2月23日個人指導


 今日はありがとうございました。早々に夕食卓に!巧くつながりました。食べながらうれしくなりました。まずは先生それから私の順に打っていましたところ、丁度私が打つときになって齊藤さんがお見えになり両手に華のご指導を受けました。うれしい限りです。
 ソバの練り具合、水回し、伸びの状態などそれぞれの行程で細かいご指導。遠くから見られているんだけどそれだけで厚みが揃っていないとか、粘り状態がよい、また姿勢なども細かく修正して頂きました。本当に奥の深いものであると付くずく感じだ次第です。
 これだけだったら間違いなく良いソバに出来上がっていると太鼓判を押して頂きました。そうなるようにと帰宅しました。これなら1分で良いです、と!

 お礼に、ソバ用の箸を差し上げた。
 湯がきながら、ソバを上げたとき切れていなかったのが見えて心が踊った。笊で掻き上げ冷水に。一本ツルッとすすってその感触を味わった。


 食べ終わってすぐに鈴木さんにうれしさを伝えた。
happy01

2011年2月22日火曜日

黒竹の箸箱



黒竹で携帯箸箱

 自然のもので、ものを作ろうとするとなかなか適切な材料が見つからない。黒竹で箸箱を作ろうと検討していると、太さや長さなどが適当なものが手に入らない。

 たくさんの黒竹から何とか取れたので作ってみた。丁使いなどのアイデアもまだであるが何とか形になったかな?
携帯の状態

上;ノリウツギ箸
下;箸箱を開いた状態

竹を割って板状にして貼り付けた
外形で18mm

私の華押



箸は、ノリウツギ。ソバ用にと箸先を五角形にしてみた。8寸箸。
ソバが滑らないように五角形にしてみた
先は約2.5mm。手元はほぼ小判型




2011年2月19日土曜日

ボロボロ切れた蕎麦

個人指導


 気になっていた自分で打った蕎麦、それを食べながら「先生が打ったのは光沢があったな!」ともう一つの違いが見えてきた。益々気になった。電話をしようと思っていたら先生の方から「ブログを見ました。丁寧な指導が出来なくて申し訳ありませんでした。是非お出かけください」と。ブログにその出来の悪さを書き込んでいたのである。

 来週に出かけることを予約した。さて楽しみである。今度こそ基本的なことを習得できればと期待している。2011.2.17

2011年2月17日木曜日

伊勢原蕎麦打ち倶楽部


3年前から始めた蕎麦打ち


 それなのに上手くいかなかったのがゆでると短く切れてしまうことであった。どうしても上手くいかずしばらくあきらめ気味のとき広報での誘いがあり申し込んだ。

 今日2月17日 意気込んで出かける。18人の会員だったのが今回のお誘いで一気に倍近く16人が加わったという。

 最初は先生、ベテランが蕎麦を打ちそれは昼食の蕎麦。

 2つのグループに分けられ、それから個人指導。1−1の私の番号。50分くらいで何とか蕎麦が出来た。それは持ち帰りである。

 昼食の蕎麦は、腰があり香りの良いざるそばとなっていた。それを期待して今日の夕食にゆでた。すると何とボロボロ!!!味は何とかであったが、またも残念〜〜〜何故だろう〜〜〜

くやしい!

2011年2月15日火曜日

温泉津の水琴窟修理

水が溜まる水琴窟



 調子の悪くなった温泉津の水琴窟を見に行ってもらった。


仁摩の友人から連絡が入った。温泉津の、”旅館のがわや”の水琴窟を見に行った。
その状態は予想していたとおりの様子であった。
1)海が泥で埋まっているような状態であった。
2)玉砂利が大分苔むしていた。
3)水の流れが当時と変わっていて殆どの水が甕に入っていた。
さらに気になっていたのが、
4)溝の方に流れにくくなって逆流するような状態になっていなかったか==>その通り!と。

貴重な調査となった。
1)上記4)の対策として、今後海のレベルを下げないこと、と行くよりそのような場合は海を高くすること、と言うことが分かった。

2)11年もなると、やはり粘土質の泥が(海に)溜まるんだと云うことが分かった。甕の中は濁っていなかったという。
3)水を汲み出すのに、手動式石油供給ポンプでは大変であった、と。
仁万を中心とした石見の水琴窟マップ

旅館のがわや
内庭にある縁先水琴窟,2000年5月15日



2011年2月9日水曜日

琴ヶ浜の砂のルーツ(島根県)

鳴り砂の研究
〜琴ヶ浜の砂はどこから来たのであろうか?〜
*ルーツ(2)も参照*
琴ヶ浜で鳴り砂を楽しんでいる観光客
この風景はパソコンの画面にしています。


 この問題を考える前に、琴ヶ浜の鳴り砂はどうしてこんなによく鳴るのであろうかという問題を考えると少しルーツについての考察ができる。



 いい鳴り砂は、光沢があり非常に丸みのあるのが特徴である。実験室的に鳴り砂を作るには、細かく粉砕された石英砂を長時間洗浄すると、砂の形は大きくは変化しないが、砂のエッジが少し丸みを帯びて、光沢が出始める。琴ヶ浜の様な全体的に丸みのある砂にする実は、きっと何万時間という洗浄を続けなければならないであろう。この実験で数時間で砂の一部を入換えたとしたら、新しく入れられた砂の形はエッジがあり、その容器の砂を観れば、混ざった形の砂と観えるであろう。
 琴ヶ浜の砂ができたとき、形状がどのようになっていたかは分からないが、全体が丸くかつ光沢がある砂になるには、地球規模の時間が必要であると考えられる。実験での考察のように、もし、琴ヶ浜に今もなお新しく砂の供給が起こっているななば、今のような丸い光沢のある均一な砂にはならないと思われる。
 したがって、琴ヶ浜の砂は、琴ヶ浜の地形が形成され安定した地形になったときから、できていて今に来ていると考えられる。琴ヶ浜の砂は、新しく供給もされず、どこかへ流出してしまっていることもないと考えることが、こうしてきれいな砂、素晴らしい鳴り砂ができている理由である。
 黒瀬石屋さんとこの問題について話をしていた(9/9)。「志波さんこの辺には堅い砂となる石はないけんね。」「・・・」「砂はどこから来たんでしょうかね?」”この辺に砂となるような硬い石はない”という言葉が非常に気になった。なるほど、そういう目で見ると、琴ヶ浜の砂は、山の方から供給されたとは考えられない。
 海の方からの供給はどうだろうかという見方もある。しかし、琴ヶ浜の海底の砂をサンプリングしてみると、沖にいくにしたがって砂は細かくなり形も成分的にも、浜の砂とは違ってきていることを考えると、海の方から供給されているとは考えにくい。
 この二つの考察から、琴ヶ浜の砂は、琴ヶ浜の地形が形成された時代からの砂であると考えることができる。
 では、この砂はどうしてできたのだろか?という問題は残ってしまう。

豆腐つくり

豆腐つくり

近所の畑で作られた大豆を購入〜



 今回は543gを夜13時間浸した。1,155gに膨れたが少々少ない?。先日の講習会では3倍ほどになると云うことであったが、もっと置かねばならないのか?
 フヤケタ大豆をカットしてみると芯は締まっていたので完成であると判断した(この判定は島根でのイベントの祭に教わったこと。あまり置くと味が落ちるという)。



 ×印の部分を底にしてミシン目のようにして
苦汁で固まった豆腐を流し込み外の布を
被せて押さえ蓋を置き重石を乗せ搾る。

 ミシン目を入れたのは布端がはつれないように
する為


 3回ほどのつくりで、今回は搾る祭の箱へセットする布を形に整形した。これはうまくいった。

 まーまーの味の豆腐が出来た。
暖かい内に食すると美味しい!

2)搾ったときに出る液で髪を洗うと高級なリンスをしたようにさらさらツルツルの髪になった。お試しあれ。
 これを上手く使えばいい洗剤になると思うが〜。この情報は韓国江陵に行ったときの豆腐村で得たものである。温泉津でのイベントの祭にもその効果は抜群であった。

2011年2月7日月曜日

11年前の水琴窟の排水が悪くなった!


2000.5.15に完成した水琴窟
旅館のがわやから電話、2011年2月7日


11年前に島根県大田市温泉津町の旅館のがわやに造った水琴窟の排水が悪くなったと電話が入った。
穴を掘ったときに排水が悪くその対策を取っていたが何故水が溜まりだしたのか


一緒に造った仁摩にいる大谷君に診て貰うことにした
。?


何故そうなったのか
対策が老化したのか?
メンテナンスは行われていなかったであろう?
清掃すればアイデア通りに復活するか?


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※書き込みがおかしい

2011年2月2日水曜日

甕を貰うー水琴窟へー

伊勢原市 大山の
友人から電話

 友人から「甕があるのだけど要りますか?」と電話が入った。「2個あるけど1個は私が貰いますので、一つあげます」友人が友人からもたったものであった。
 早々に車で出かけた。第二東名道路ができるために解体される家であった。山の中で周辺は整地が進んでいた。
 2個が転がっていて、山の畦道を転がして車まで運んだ。私の車にやっと入った。

友人は私が日頃水琴窟の話しをしていたので甕を見たときに私のことを思い出し連絡をしてくれたのである。

 帰って狭い庭に何とか収め一応飾った。どんな水琴窟になるのか楽しみである。

直径は内径で530mmφ、深さ415mmである。形状は写真のような形である。


庭に置いた状態(右)


甕の寸法と形状