2011年3月18日金曜日

砂嚢の砂の形は?


砂の研究
-砂嚢への好奇心-



 6月10日ビーバーどの焼き鳥屋さんから紹介してもらった鶏肉の処理会社へ行ってきた。前日に電話して、15日に良いですということでミュージアムの車で出かける。電話で道を聞いていたが、間違えて三瓶の方へ行ってしまった。田舎であり、民家も少なく、訪ねることもできず、電話もないのでこんなときは都会と違って不便である。しかし、田舎でありちょっと訪ねるとその場所はすぐにわかった。これがまた田舎の良いところである。一軒の道路沿いの民家に飛び込んだ。丁度、お茶飲み話しをしていた老人がおられて、最初はわからなかったが、「あ、それならもう少し下って最初の橋を左に入って行けば一本道で、2キロくらい行ったところですわ。ちょうどこの山の裏あたりですが」私は行き過ぎたことがわかった。その橋はすぐにわかって、一本の幟が立っていて、目的の工場もすぐに見つかった。山の中の小さな工場であった。
 工場のスペースに車を入れた。事務所は、工場の向かい側にあり、錆びた鉄の外階段を上がった所である。車を停める音で事務所の窓が少し動いた。
 「お邪魔します」二階の事務所のドアを開けた。「ハイ、、、どうぞ」30歳後半だろう事務員の方が一人事務を執っておられた。「ミュージアムから来たんですが、、、」「ハイ、部長から聞いております。どうぞ。今日の鳥は、平鳥ではないのでどうだろうか?」私が気にしていたことであった。平鳥とは路地で飼われている鶏のことである。この鳥だったら、砂嚢には砂が入っていないだろうと想っていたのである。きっと、あの焼き鳥屋さんが先日電話されたときに話題になって、「地鳥と平鳥では胃袋の中がちがうだろうな、、、?」「わしらも気に留めていなかったが、何でこんなところまでしらべられるんだろう、、、」なんて話しが持ち上がっていたのであろうと、その事務員の方のその話しから伺えた。工場長に話しがついていますので工場へ行ってください。「あの、これほんの少しですが皆さんで召し上がってください。」「や、すみません、ありがとうございます」
 「工場?」車を停めたところがそうだとは思ったのだが、人がいるような気配はまったくなかったが、それでも機械があり、使った様子は窺えた。入り口とは思えないような引き戸の扉を開けてはいると、7人ほどの人が向かいあって二列で肉を処理されていた。「あの、、、」「はい、どうぞ」「お忙しいところ申し訳ありません」「用意していますので」と30歳くらいの若い工場長が仕事を中断してきた。私の姿をみて、「ちょっと待ってください」といって、白い長靴を持ってきてくれた。長靴に履き替えて作業場に入った。作業場の一番奥の所へ案内してくれた。皆さんが一斉に会釈してくださり、私も遅れずに挨拶した。室内は鶏の肉の匂いが漂っていた。あまり見たことの内、赤い肉で、「あ、これがさんべの鳥なのか、、?」と、左手にその盛られていく肉を見た。 そこには、洗面器いっぱいの砂嚢が用意されていた。工場長はすぐに砂嚢の切り方を見せてくれた。「これは地鳥ではないから、牡蠣がらばっかりだよ」その通り、蛎殻が入っているのが見られた。切られた砂嚢の中が、黄色になっていたのには驚いた。これは餌に栄養剤などが入れられているのだろうかと想像した。
 一人の50歳くらいの奥さんが、白いゴムのエプロンを私に掛けてくださった。「軍手もどうぞ。」真新しい軍手が用意されていた。「けがするといけませんからね」「そうですね。ありがとうございます」わたしは肉が滑るからかとおもった。数人の人が、左手に軍手をしていた。
 すぐに、処理に取りかかった。包丁は相当に使いこなされているようで、刃先はもう柄のところまできているようなものであった。しかし、良く切れた。やはり事務員の方が言われていた通り、そしてわたしが想像していた通り、胃袋からは砂らしきものは見えなかった。切りながら、どんな形状になっているだろうか。丸くなっているだろう?丸くなっているというのは、全部ではなく、丸いものも角張ったものもあるだろう。だって、いま食べたとき、この運命になったものもあるはずである。そうなると、もまれていないはずで、砂や牡蠣がらは角張っている。そうか、そうなると、想像していた粒子の丸さというのは、どれくらいまでになっているのだろうかと、考えていた。よく見ると、餌がたくさん入った砂嚢、少ししかないもの、いろいろであった。地鶏のものも調べてみたいとも思う。
切り開いた砂嚢の内部


砂嚢の中から得られた砂

 切ったのは全部で43個あった。これでどれだけの物が取れるのだろうかと楽しみであった。途中、デジカメと普通の写真を数枚撮った。ひらり手の軍手は、鳥の脂で黄色くべた付いていた。切ったものを水洗いした。洗面器の中で何度かデカンテーションした。黄色いものは、トウモロコシの餌でもあった。しかし、砂嚢の表面は黄色みを帯びていた。軽いものがどんどん流れていった。そこではやはり砂らしきものは見えなかった。片手の手のひらに納まるくらいの砂、貝がとれた。
 工場長がビニール袋を出してくださった。一時間も掛からずに私の仕事は終わった。プラスチックスのまな板や包丁、片一方の軍手を洗って、お礼を言って作業場をでた。事務所に上がり、挨拶をする。「とれましたか」「え、貝が多いようです」「そうでしょう、、、今度地とりが入るのは何時かな、、、」カレンダーを見ながら、地鶏だったら砂が入っているだろうことを気にしてくださった。「今月はもうないですね」「、、、ありがとうございます、、、今月は私もいませんので、またのときにお願いします。安田部長さんによろしくお伝えください。ありがとうございました」鉄の階段を、トントンと響かせながら降りていった。会社の周りの写真を数枚撮った。有限会社内外食品。
 途中、山道の地名の入った看板を記念に写真に収めた。牛尻とあった。
帰って、ルーペでよく見てみた。大半が、白濁色の2-5ミリ程度の物であった。透明感のあるいわゆる珪砂は全くといってよいほど入っていなかった。それでも注意してみると、1ミリ程度の珪砂が入っていた。それは角張っている。「?珪砂は硬すぎるのだろうか、、、それとも他が多いから珪砂は表面の摩耗がされないのだろうか、、、白色の物は、貝なのだろうか、それとも長石なのだろうか。長石なら、最初から餌の中に混ぜられているのだろうか、貝が摩耗しているが、それはカルシュームを取ることになる。、、、」「砂が入っているのと、このように貝が入っているのでは、消化力がちがうのではないだろうか。そうなると、鳥の成長も違ってくるだろう」と、餌の開発についての興味が湧いてくる。砂がたくさん入っているなら、同じ胃袋の動きでもそれだけ簡単に消化されるに違いない、、、粉砕機の構造を考えた発想である。それにしてもこの貝や石は、どう体内を動いていくのだろうかと想像した。
 2000.6.18、志波

0 件のコメント:

コメントを投稿