2011年6月8日水曜日

鳥の屋形をリフォーム

〜落木の台の屋形〜


 川から拾ってきた落木、魔法使いの杖のような趣にあるものである。(杖には太すぎるけど〜)
 以下がその様子である。結構おもしろいでしょう〜。

芯はしっかりしていて結構堅い。切っていると杉の匂いがしてきた。



高さは木の部分で140cmほどある

カットした様子。十分な形を残している。

 ※しっかりしているし長い時間川で晒され芯だけが残った木。これで箸にしたら曲がることなくいいものができるのではないだろうか。

2011年6月7日火曜日

無患子の箸−2−

無串子の箸

 昨日アップした無患子の材質について、その箸はまだ完成段階ではないが、ちょっと水に浸したところ表面が小さな凹凸になった。この現象は杉の木にも発生した。研磨は、乾式サンドペーパーで、600#ある。




 ・凹凸は、飛び出したのか凹んだのか

 なぜ、こうなるのか?


  1. 湿式での研磨が基本なのか
  2. 木材の性質か
  3. 凹凸を消しながら何度か研磨していけば無くなるのか

  1. 研磨を続ければきっと奇麗になるであろうと考えられる。


2011年6月6日月曜日

箸の材質

無患子

奈良に家族旅行に行き奈良在住の弟になら公園内を案内してもらった。以前メールで奈良春日大社通りの無患子のことは受けていたが今回実際に見せてもらった。大きな木の間から孟宗竹が顔を出している珍しい現象である。


 それを眺めながら種を捜したが見つからなかった。しかし、3〜4cm位の直径、長さ1m位のほぼ真っ直ぐな枯れ木が落ちていた。箸になるかも知れないとぶら下げてきた。新幹線の中を持ち歩くにはちょっと長すぎる。「・・・・」考えていたら、二月堂に行ったとき庭師さんらしい方が鋸を下げて居られたので、声を掛けて貸してもらい半分に切った。ナップサックに入る長さとなった。2011.5.3。


 早々に割って早急に乾燥させ6月3日箸にした。
芯はアオキとよく似た柔らかい芯があった。


 落木であり、木の内部には黒い染みが入っていたが、何とか箸ができた。



  1. 白黄色の木肌である。
  2. 杢は綺麗で、欅にそっくりである。
  3. 削ると結構堅く、重たい。

===>
 珍しい材で、良い箸である。木で5膳ができた。

2011年5月21日土曜日

東北大震災を受けた仙台湾の鳴り砂健在!

亘理海岸=”鳥の海”海岸の鳴り砂健在!



 若林区の友人から朗報が入った。



 「前略〜19日(木)の調査では、「鳥の海」から南方の山元町境までの全長4.5kmの砂浜を歩き、鳴り音を確かめました。従来通り「鳥の海」から南方3.5kmの範囲内の鳴り砂は、全く健在でした。特に、「鳥の海」から2.5kmまでは、すばらしい鳴り音を聞かせてくれました。長大な砂浜は、大津波の影響もあり、3ヵ所程分断されていました。大津波で砂浜の表層部が剥ぎ取られ、内陸部の田畑まで運ばれたと言う話もあります。しかし、分断されている箇所をみると、砂浜の中央部分のみが水没しており、大津波の後に海底から運ばれた砂が堆積しているものと考えられます。防潮堤は、8割は消失していました。残り2割も辛うじて原型の姿を見せている程度です。津波の破壊力のすさまじさを感じます。とりあえず、鳴り砂は残っていました。大災害に負けない心意気を示しているようです。私どもも、前向きに行動しなければと思っております。とにかくよかったです!!」

2011年5月12日木曜日

山椒の木の年齢

山椒の木



  •  山椒の木をよく観察していたら、トゲに地層のような模様に気づいた。ひょっとしたら年輪と同じかも知れないと考え大きなところの模様を数えてみた。

この木は、「12,13年」と見た。直径3.5〜4.0cm、カットしたところのよく言う年輪を数えてみると、見にくいが7、8年くらいである。ちょっとその差があり過ぎるが、さて、トゲの模様が年齢となるのであろうか?この模様なんであろうか???


どんな箸になるか1,2年後が楽しみである。ちょっと凹凸が激しすぎるようであるがこの模様をどう使うか〜。


 

  • 根の表面は水を流しながらたわしで擦るとぽろぽろと剥げ奇麗な表面が出てきた。





2011年5月11日水曜日

箸の作成データーベイス(2011/05/11)現在

箸の現在の作成状況

2,000膳を目標に向かって〜

 昨年10月ごろに第一目標の1,000膳を作り終えた。次の2,000膳を目標に。

2011年5月11日現在184膳。

最近の新しい材料は、枇杷、銀杏である。

 銀杏はまな板に使うと言うことで、柔らかいというのが一般的であるが、箸にして使ってみると結構摩耗しないようである。まだ使用時間が短いのでテスト使用している。

 枇杷は非常に堅く加工が困難である。






2011年3月26日土曜日

廃油コンロの研究開発-005


軽石台座の炎
〜何度も点火しても同じ炎を得る!?〜



 ランプ要因の一つである、芯の固定方法で、軽石を考えていた。

ホームセンターで軽石が手に入ったので早々に加工して燃焼実験をしてみた。



  1. 石はポーラスですぐに壊れるようで、加工が非常にやりやすい。
  2. 孔は、綿芯がゆったり入るような大きさの孔サイズとした。これにより芯はピンセットで簡単に伸ばすことが出来る。

燃焼実験
  1. 巧く燃える。時間が経っても炎は安定している。
  2. 3回ほど再燃焼をした段階では、すぐに着火する。
  3. 軽石だけでは着火してくれなかった。もう少し実験の余地有り。
  4. 軽石の加工具合では軽石部分全体が燃えてきた。芯が出ている周りの直径が影響しているようである。場合によっては軽石だけで燃えるかも知れない。
  5. 芯のすぐ周辺は綺麗な軽い紙面であるが、少し離れたところには油煤が付いている。
  6. 芯材は、化繊はやはり駄目だった。綿と思ってセットしたら見る見るうちに熔けて火は消えた。

中間検討
  1. 軽石で巧く可能性が出てきた。
  2. 軽石が油を吸い上げ芯に染みこんでいるのだろう。
  3. 軽石の種類によってどのような燃焼を行うのか、そして芯の劣化は?
  4. 軽石の高さと直径の関係の研究

軽石を台座とした芯の固定方法




十八鳴浜の被害状況



十八鳴浜の被害情報
〜島根の友人からの情報〜




おはようございます。
気仙沼の状況が入りましたのでお知らせします。
(以下転送)

 十八鳴浜ですが,大島が津波で2つに分かれ,海水浴場の松林も無くなりまし
た。18日,大島へは小船で渡り,十八鳴浜へは浦の浜から徒歩でいきました。
状況は写真のとおりの状況で,津波は背後地の痕跡から5m以上はあがったと
思われます。内湾の火災で燃えた筏や残材,家屋の一部,船など多量の漂着物
が浜に打ち上げられており,海面には油膜も確認されました。高潮でしばらく
はこのような状況が繰り返されると思います。
 九九鳴き浜は,19日,舞根という漁港までは山道を車でどうにかいけましたが,
途中から徒歩で浜にたどり着けました。唐桑半島のほとんどの浜集落は壊滅状
態です。九九鳴き浜の状況も十八鳴浜と同じような状況でした。
 幸いどちらの鳴砂も元気に?鳴いていますので,一安心しました。
 まだ,今後の対応については決まっておりませんが,大量の漂着物の除去処分
方法,沖合いの焼けた船舶から重油が流出しないかなどいろいろ心配事はあり
ますが…。

と言う状況のようです。

十八鳴浜
私の写真は、この写真の奥の方からの撮影です。
また、降りてきたのもその奥からです。




九九鳴き浜




2011年3月24日木曜日

東北関東大震災〜砂浜は〜


東北地方は自然の宝庫
〜鳴り砂の浜〜

 この度の地震に遭われた方々に心からお見舞い申し上げます。

 10年前気仙沼市の十八鳴浜を調査した。船で渡りまむしが出るというような山道を下って浜に降りた。キュッキュッと心地よい音を発していた。女川原発が見える小屋取浜や夏浜なども調査した。どなったのかと想いを馳せる。案内してくださった方々は大丈夫だろうか?




日本の鳴り砂浜の分布(志波)



廃油コンロの研究開発-004


ランプの考察
〜再点火際に新芯を〜

 

 現在の実験で、ふと、初期の場合の燃焼は炎が一定の高さで綺麗な炎をしていることに気づいた。そうならば点火のたびに芯を掃除したらどうだろうかと、固くなった先端を少し壊し芯を少し出して点火した。新しい芯ほどではないが巧く燃焼し始めた。

 ランプはどうしても綿芯は焼けてしまう。

 アルコールランプやローソクなどそしてまた石油ストーブもその内に焼けその内に交換する。ロウソクは自然に新しい芯が出てきていて安定した燃焼をしていると見ることができる。

 結果
 芯を簡単に出せる構造を考えることが、安定した炎を確保することになると考えられる。

改良
 まずは芯筒に入れる芯を緩くして爪楊枝でも引き出せるようにする。

2011年3月23日水曜日

廃油コンロの研究開発-003

ランプ芯の考察
〜中間報告〜

現在、同じ芯で4バッチほどサラダオイルの廃油を燃焼させた。

結果
 ・麻と木綿の芯である
 ・1回あたり100ml程である。
  1. 初期は巧く燃焼した
  2. 皿にオイルが残っていても消した後、芯先材は炭化している
  3. 芯材に関係なく回数が増すに従って着火が困難になる
  4. 芯材に関係なく回数が増すに従って燃えが悪くなる

考察
  1. 芯材は、この状態では使えない。芯材の芯筒内での充填密度を緩くしても駄目だろうか。
  2. 芯先が炭化するのはオイルが燃えるのに加え芯材も燃えている。オイルの燃焼温度でも炭化しない芯材が必要である。
  3. 回数が増えると芯材は炭化したため灰となり短くなり、炎が小さくなったと思われる。
  4. 炭化した芯は、オイルの浸透が悪くなり燃焼が悪くなると考えられる。炭化しても内部空間が大きくたくさん存在すれば燃焼すると考えられるが?
  5. 廃油オイルは不純物が含まれ燃焼して芯に炭化物として残留するのであろうか。それが芯を詰まらせてしまうのではないか。しかし今回使用した廃油は長い時間置かれているもので、異物は沈殿しているように見える。アルコールランプなども芯は焦げ次第に短くなるため少しずつ芯だしをして使っている。

今後の研究〜芯材、オイルについて
  1. 芯材:グラスウール、石油ストーブの芯、石綿、軽石、、、。
  2. 芯の充填率の違い。
  3. 廃油を使うことが前提であるが、新しいサラダオイルでも実験してみる。
  4. 廃油の濾過が必要か。
2011.3.23

2011年3月22日火曜日

廃油コンロの研究開発-002

要因の検討

どのような要因があるか、思いつきのままリストしてみた。さて、どう展開していくか〜



ランプ開発の要因


石見銀山(大森銀山)の
竹下ブリキのカンテラ
芯は3mm 程の綿紐

2011年3月21日月曜日

廃油コンロの研究開発-001

俄行灯から廃油コンロの研究開発

順調に燃える廃油コンロの実験器



 東北関東大震災は計画停電で近隣の地域が影ながら協力。一時の停電くらいは不自由はない。昔はよく長時間の停電をしたものである。

 先日は俄の行灯を作ったが、さらに今日は廃油コンロの研究に入った?

〜研究テーマ:廃油コンロの研究・開発〜

とでも名付けた。

早々にまずは作ってみた。行灯に使ったオイル芯をそのままコンロの五徳の枠内にセットしてみた。


缶詰の管内に沈む炎


長時間燃えていたが、何故か芯が少しづつ短くなって炎が小さくなってきた。

1)アルコールランプ式に芯をブリキで筒を作って囲いセットした。第一号は斜めにセットした状態であったが、これも次第に芯が焼け炎が小さくなってきた。
 その一本で3,4時間は燃え続けた。そして湯温は42℃になった。
   二本で46℃に上昇

2)もう一本作った。それは垂直に立てるようにした。よく燃え上がった。
 立てると何故よく燃える?
  あまり炎が大きく、煤が出てヤカンの底には鍾乳洞のようなつらら状の煤が付いた。

3)芯を切った。炎も適当な高さになり、煤もでなくなった。
  適当な高さとは、炎の先端がヤカンの底に丁度到達するくらいとした。

4)三本作ってセットした。その際、芯を包んでいる筒の内部に細い管を設けた。そこから空気が炎の中に流れ込み燃焼を助ける(煤が出難いであろう)であろうという考察からである。
  三本で湯温は、50℃ほどに上昇した。水温は12℃である。

 ここでガスコンロでお茶のお湯を沸かした。すぐに沸騰した!それだけの省エネになったであろうか?僅かであろうがいずれにしても省エネが出来た。

  3時間ほど経ったら、水温は67℃に上昇した!良いぞ〜。お玉一杯ほどの廃油量である。


廃油を追加し3時間が経過した燃焼状況
トップ写真より少し炎が低いが安定している。


  炎の数を増やせばもっと短時間にお湯になり温度も高くなるであろう事が分かってきた。
5)冷えた廃油を足した。
  炎が小さくなった。何故?
  • オイルが冷たく、気化が弱い
  • 細管の下部がオイル面に接していて空気の上昇現象が遮断されている?
  • 3時間が経過したが、安定した燃焼である。
6)カンテラは芯が銅筒で3cmくらい包まれている。
 ・そのような形をアルミ缶詰の板で作ってみたが、継続した燃焼にならない。灯油だったらいいのだろうか?
 ・アルミの筒の部分を燃焼すると燃え始めるが加熱を止めるとまた消えていく。
 ある身の回りに導線を巻き、芯内に銅線を4本埋め込んで熱を伝え気化しようと試みたが、駄目だった。
 ・筒を短くした上項の3)、4)は筒が短く巧く燃えているので、筒を短くして下方の芯を長くしてみたがやはり燃えない。
 ・芯材には上記の要因に関係ない。麻、木綿縄でも結果が同じく、有意差はなかった。
 
開発
  1. 芯管はある程度長い方が良いかもー管が熱くなりオイル粘性が小さくなり気化しやすくなりよく燃えるであろう==>6)項の実験で失敗!
  2. 今の実験器は、3cm深さの缶詰の缶で、芯管の長さもその程度である。
  3. コンロの構造は、浅くしなければならないようである。これはオイルの種類によって違ってくることは容易に考えられる。灯油などだったら深くても良いかも[6)項参照]
  4. 長時間燃やせるような大きなタンクが必要だろうか。一度のヤカンのお湯が沸く程度で良いかもしれない。
  5. 熱効率を上げるために、ヤカンの底に傘を付けたらいいかも知れない。また、
  6. 風よけにもなるであろうから必要な部位である。
  7. 石油ストーブの芯材は何か。グラスウール?
  8. 一機に大きな炎になると煤が出る。
  9. 炎の大きさは、芯材、芯の太さなどに影響されるであろう。研究課題〜

2011年3月18日金曜日

東北関東大震災>安否


若林区の早川さん達無事だった!


先ほどメールが入った。一安心である〜。明成高校の石丸先生も。


From:   早川
Subject: Re: 地震
Date: 2011318 22:53:42:JST
To:   志波

志波靖麿様
  早速のお見舞いありがとうございました。やっとメールが出来るようになりました。それにしても大津波の恐ろしさは、凄いというほかありません。当会の仙台湾内の50の調査対象海岸の砂浜は、すべて消滅してしまいました。復旧するのは、いつのことになるか?想像がつきません。今まで収集したサンプル砂は、貴重な財産になると思います。
  私事:自宅の家具や家電は吹っ飛び、食器や本類が散乱、足の踏み場がない状態でした。幸い家族(夫婦・子供2人)全員怪我もなく無事でした。13日に電気・水道が復旧し自宅で生活しております。今は後片づけに汗を流しています。物資不足でサバイバル生活ですが、これも貴重な経験と楽しむようにしています。とりあえず御礼と近況報告まで。



東北関東大地震


計画停電で俄の行灯



 停電のためにロウソクは準備していたが、巧く燃え上がらず灯りが弱くなった。ロウソクは琴ヶ浜に漂着していた太いロウソクである。漁船が使っていたものであろう〜。

琴ヶ浜で拾っていた3cm直径ほどのロウソク


 大森銀山の竹下ブリキ店から貰っていたカンテラを灯そうかともおもったが、灯油を入れるのも暗い中無理と判断。

 竹下ブリキ店で、油は菜種油ということを聞いていたので、使い終えたサラダオイルを使って見ることにした。芯は木綿のタオル。化繊は駄目であるということは実験で知っていた。

 油皿は、広島の友達から1月に贈ってもらっていた牡蠣の蠣殻である。石見銀山の間歩で初期のころ使っていたのはサザエ殻であるという。その縁に、アルミの針金で芯を固定して灯した。箸の材料(杉材)を使い、適当な太さ、長さに切り小さな木ネジで簡単に止め、糊を木に塗り四角く障子紙で囲う構造として俄に作った。
 ランプ皿は直径35cm、深さ3cmほどの水鉢にセットしそれに四角柱の行灯を乗せ、火を囲った。

左:缶詰缶 左:蠣殻
芯はアルミ線で綿布を固定した
油が無くなるまで燃やしていないので
最後の芯がどのように燃え尽きるか〜


 ロウソクよりも火も高く明るく、使える。琴ヶ浜で体験した行灯を俄に作った。作り終え、さ〜点灯という時に、通電した。それでも電気を消して灯してみた。良い雰囲気である。
障子紙で囲った四角筒の行灯
写真では暗そうですが、結構良いです〜




2)行灯をつくる新しい研究課題が出来た

 安全なカンテラ
  オイルタンクのサイズ、容量
  芯の誘導法:金属筒、陶器(セラミックス)ーーーアルコールランプを参照
   パイプにしているとオイルが無くなっても炭化は進行しない?
  芯のサイズ
  芯の材質
   グラスウール
   藁、葦など(広島の友人の使用材)天然物
   木綿布
   竹や竹炭など
   和ロウソクの芯は何
  転倒しても燃え上がらないカンテラ構造
  転倒したら火を消す方法

 オイルの種類
  価格
  熱量
  輝度/ml
  灯油
  サラダ油
  オリーブ油
  燃焼匂い
   アロマを混合したらどんな香りがするだろうか?

 行灯の囲い
  障子紙
  薄い白布
  形状
  火元と囲いの安全な距離と明るさの関係

 行灯の構造
  円筒
  角(四角、六角〜)
  不定形

 提灯?


3)廃油の利用
 
 いままで天ぷら油は、堅め剤で固めゴミとして捨ていている。しかし、今回の経験で巧く使えば、

  1. 玄関先の街灯や庭の灯籠灯りに使えるかも知れない。
  2. 暖房油に使えないか。

そのためには、第一に安全なカンテラの研究である。



 

砂嚢の砂の形は?


砂の研究
-砂嚢への好奇心-



 6月10日ビーバーどの焼き鳥屋さんから紹介してもらった鶏肉の処理会社へ行ってきた。前日に電話して、15日に良いですということでミュージアムの車で出かける。電話で道を聞いていたが、間違えて三瓶の方へ行ってしまった。田舎であり、民家も少なく、訪ねることもできず、電話もないのでこんなときは都会と違って不便である。しかし、田舎でありちょっと訪ねるとその場所はすぐにわかった。これがまた田舎の良いところである。一軒の道路沿いの民家に飛び込んだ。丁度、お茶飲み話しをしていた老人がおられて、最初はわからなかったが、「あ、それならもう少し下って最初の橋を左に入って行けば一本道で、2キロくらい行ったところですわ。ちょうどこの山の裏あたりですが」私は行き過ぎたことがわかった。その橋はすぐにわかって、一本の幟が立っていて、目的の工場もすぐに見つかった。山の中の小さな工場であった。
 工場のスペースに車を入れた。事務所は、工場の向かい側にあり、錆びた鉄の外階段を上がった所である。車を停める音で事務所の窓が少し動いた。
 「お邪魔します」二階の事務所のドアを開けた。「ハイ、、、どうぞ」30歳後半だろう事務員の方が一人事務を執っておられた。「ミュージアムから来たんですが、、、」「ハイ、部長から聞いております。どうぞ。今日の鳥は、平鳥ではないのでどうだろうか?」私が気にしていたことであった。平鳥とは路地で飼われている鶏のことである。この鳥だったら、砂嚢には砂が入っていないだろうと想っていたのである。きっと、あの焼き鳥屋さんが先日電話されたときに話題になって、「地鳥と平鳥では胃袋の中がちがうだろうな、、、?」「わしらも気に留めていなかったが、何でこんなところまでしらべられるんだろう、、、」なんて話しが持ち上がっていたのであろうと、その事務員の方のその話しから伺えた。工場長に話しがついていますので工場へ行ってください。「あの、これほんの少しですが皆さんで召し上がってください。」「や、すみません、ありがとうございます」
 「工場?」車を停めたところがそうだとは思ったのだが、人がいるような気配はまったくなかったが、それでも機械があり、使った様子は窺えた。入り口とは思えないような引き戸の扉を開けてはいると、7人ほどの人が向かいあって二列で肉を処理されていた。「あの、、、」「はい、どうぞ」「お忙しいところ申し訳ありません」「用意していますので」と30歳くらいの若い工場長が仕事を中断してきた。私の姿をみて、「ちょっと待ってください」といって、白い長靴を持ってきてくれた。長靴に履き替えて作業場に入った。作業場の一番奥の所へ案内してくれた。皆さんが一斉に会釈してくださり、私も遅れずに挨拶した。室内は鶏の肉の匂いが漂っていた。あまり見たことの内、赤い肉で、「あ、これがさんべの鳥なのか、、?」と、左手にその盛られていく肉を見た。 そこには、洗面器いっぱいの砂嚢が用意されていた。工場長はすぐに砂嚢の切り方を見せてくれた。「これは地鳥ではないから、牡蠣がらばっかりだよ」その通り、蛎殻が入っているのが見られた。切られた砂嚢の中が、黄色になっていたのには驚いた。これは餌に栄養剤などが入れられているのだろうかと想像した。
 一人の50歳くらいの奥さんが、白いゴムのエプロンを私に掛けてくださった。「軍手もどうぞ。」真新しい軍手が用意されていた。「けがするといけませんからね」「そうですね。ありがとうございます」わたしは肉が滑るからかとおもった。数人の人が、左手に軍手をしていた。
 すぐに、処理に取りかかった。包丁は相当に使いこなされているようで、刃先はもう柄のところまできているようなものであった。しかし、良く切れた。やはり事務員の方が言われていた通り、そしてわたしが想像していた通り、胃袋からは砂らしきものは見えなかった。切りながら、どんな形状になっているだろうか。丸くなっているだろう?丸くなっているというのは、全部ではなく、丸いものも角張ったものもあるだろう。だって、いま食べたとき、この運命になったものもあるはずである。そうなると、もまれていないはずで、砂や牡蠣がらは角張っている。そうか、そうなると、想像していた粒子の丸さというのは、どれくらいまでになっているのだろうかと、考えていた。よく見ると、餌がたくさん入った砂嚢、少ししかないもの、いろいろであった。地鶏のものも調べてみたいとも思う。
切り開いた砂嚢の内部


砂嚢の中から得られた砂

 切ったのは全部で43個あった。これでどれだけの物が取れるのだろうかと楽しみであった。途中、デジカメと普通の写真を数枚撮った。ひらり手の軍手は、鳥の脂で黄色くべた付いていた。切ったものを水洗いした。洗面器の中で何度かデカンテーションした。黄色いものは、トウモロコシの餌でもあった。しかし、砂嚢の表面は黄色みを帯びていた。軽いものがどんどん流れていった。そこではやはり砂らしきものは見えなかった。片手の手のひらに納まるくらいの砂、貝がとれた。
 工場長がビニール袋を出してくださった。一時間も掛からずに私の仕事は終わった。プラスチックスのまな板や包丁、片一方の軍手を洗って、お礼を言って作業場をでた。事務所に上がり、挨拶をする。「とれましたか」「え、貝が多いようです」「そうでしょう、、、今度地とりが入るのは何時かな、、、」カレンダーを見ながら、地鶏だったら砂が入っているだろうことを気にしてくださった。「今月はもうないですね」「、、、ありがとうございます、、、今月は私もいませんので、またのときにお願いします。安田部長さんによろしくお伝えください。ありがとうございました」鉄の階段を、トントンと響かせながら降りていった。会社の周りの写真を数枚撮った。有限会社内外食品。
 途中、山道の地名の入った看板を記念に写真に収めた。牛尻とあった。
帰って、ルーペでよく見てみた。大半が、白濁色の2-5ミリ程度の物であった。透明感のあるいわゆる珪砂は全くといってよいほど入っていなかった。それでも注意してみると、1ミリ程度の珪砂が入っていた。それは角張っている。「?珪砂は硬すぎるのだろうか、、、それとも他が多いから珪砂は表面の摩耗がされないのだろうか、、、白色の物は、貝なのだろうか、それとも長石なのだろうか。長石なら、最初から餌の中に混ぜられているのだろうか、貝が摩耗しているが、それはカルシュームを取ることになる。、、、」「砂が入っているのと、このように貝が入っているのでは、消化力がちがうのではないだろうか。そうなると、鳥の成長も違ってくるだろう」と、餌の開発についての興味が湧いてくる。砂がたくさん入っているなら、同じ胃袋の動きでもそれだけ簡単に消化されるに違いない、、、粉砕機の構造を考えた発想である。それにしてもこの貝や石は、どう体内を動いていくのだろうかと想像した。
 2000.6.18、志波

琴ヶ浜の砂はどこから(2)



琴が浜の海底の砂をサンプリング

琴ヶ浜の海底砂のサンプリング位置
〜琴ヶ浜の砂はどこから(1)につづいて〜

 琴が浜の砂が海側からきているとする説があり、砂の動きを考えると一理あると思われる。図のような位置で、海底の砂のサンプルが採取できた。
 その写真を上図に示したが、琴が浜の沖にいくにしたがって、
(1)粒子は細かくなり
(2)粒子の形がイレギュラーに
なってきていることがわかる。
 このことは、琴が浜の砂は、海側から流れ込んできているとは考えにくい。もし、海側からだとすると、理論的に考えて、沖の方が荒いはずである。結果は明らかに逆である。
 琴が浜の砂は、
(1)陸側から来たと考えることが
(2)琴が浜の砂は、沖へ流れ出ているというこも無い。
 現在の琴が浜の砂は、ここに砂ができた太古の昔からの砂であると考えられる。
 このような仮定をすると、琴が浜の砂が、こんなにも美しい光沢を帯び、そして良い鳴り砂になっていることの説明がつく。
 もし砂の出入りがあるとするならば、折角洗浄されたものが隣の浜に移動してしまい、そして供給が無ければ砂は無くなるであろう。もし、浜に新しい砂の供給があるなら、たとえば、言われているような江の川から今も流れ込んでいるならば波の洗浄力で磨かれるには時間が短すぎるであろう。そして鳴り砂になることは無いであろう
 このことは、人工鳴り砂洗浄実験を考えても理解できる。短時間の砂の洗浄では人工鳴り砂はできない。次々に新しい砂を追加することはしない。最初の砂を長時間洗浄し続け、長時間同じ砂を摩擦洗浄し続けなければならない。砂が無くなったからといって、新しい砂を追加してはいけない。
 もう一つの例を示そう。わたしは、鶏の砂嚢を考えた。砂嚢を調査するまでは、きっと砂嚢に入っている砂は、丸々しているのではないかと、砂嚢の中の砂を観てみたくて仕方がなかった。そのことを昨年実現できた-大田市、(有)中外食品にお邪魔して、砂嚢をその場で解体させてもらったが、実際は、角張った砂(貝殻)がたくさん入っていた。逆に円みのある砂は少なかったのである。これは考えればすぐにわかることである。歳取った鶏はきっと砂嚢の中の砂はすり減っているだろうと期待が膨らんだが、その鶏でさえ、胃袋に入って
http://www.f5.dion.ne.jp/.yshiwa/singigsand/kotogahamaseabottom/kotogahamaseabottom.htm (2/4) [2003/04/09 20:06:32]
いる砂粒は、殺される数時間前に食べた餌の中の砂が入っているのである。これでは円みのある砂になるはずはない。
 琴が浜の砂は、鶏の砂嚢の中の砂の考え方と逆である。まさしく海は大きな洗浄装置なのである。その砂は太古の時からそこにあり、洗浄されていると考えてたら琴が浜の鳴り砂の素晴らしさが理解できるではないか。これが琴ヶ浜の鳴り砂が素晴らしい音を発しているという理解のための私の結論である。
 琴が浜の砂は、何万年もの昔からのもので、その頃から今日まで絶え間なく海の波の運動で洗い続けられてきているといえる。そしてこれからも永遠に洗い続けられるであろう。
 砂浜の幅が狭くなったとか広くなったということがいわれるが、そのことが事実ならば、海底の砂の位置がこの浜の範囲内で移動しているだけだと推測される。人口リーフで浜が狭くなることはあるにしても、砂が琴の砂が、浜全体として無くなるということも考えられない。
 砂の写真を見てわかるように、沖にいくにしたがって粒子の形が角張ってきている。このことは砂の動きが弱いことと、砂同士の接触がほとんど無く、擦れ合っていないことを意味し、砂の動きも小さいと考えられる。海底では鳴り砂になる洗浄効果は無いのである。
 この結果から、砂の摩擦洗浄は、波打ち際の砂の動きによってのみ行われている、と結論つけられる。
 湿式の粉砕を考えた場合、どろどろのスラリーで粉砕すると、粒子同志の接触回数が増え、粒子の表面が丸みを帯びてくるという研究結果を得ている。これはラッピング用研磨材をつくる場合の重要なノウハウである。自然の鳴り砂は、このような機構で擦れ合うことにより、堅い石英粒子に豊み、表面の異物が除去されていき、光沢のある砂粒へと変っていく。
 これが鳴り砂の生成のメカニズムである。

 あの寄せては返す波
愛は永遠にという言葉があるが
浜の砂のように絶え間なく擦れ合ってこそ
素晴らしい愛が交合い成長するのであろうと思えてくる
愛は、絶え間ない波の動きのように生き続け
そこに鳴り砂の砂のように光輝く愛があってこそ、永遠なのである
お互いが丸くなり、相手を理解し許し合える間になってこそ
そこにほんとうの愛がある
 
http://www.f5.dion.ne.jp/.yshiwa/singigsand/kotogahamaseabottom/kotogahamaseabottom.htm (3/4) [2003/04/09 20:06:32]

2011年3月12日土曜日

東日本大震災



 名取川や阿武隈川が注ぐ仙台湾。そこに鳴り砂の浜の研究家の友人がいる。メールしても送れない!また明成高校も鳴り砂の研究をしているがその担当教諭にメールしても通じない。少々気になる。皆さんの無事を祈る。


2011年3月6日日曜日

11年前の旅館のがわや水琴窟

旅館のがわやの水琴窟特性








ソバ粉のフルイ



ソバ粉のフルイ


 ソバを打つときの一つの道具として、粉を通すフルイが使われる。私はフルイについての研究をしていたので、早々に作った。網は丁度良いものを網メーカーからサンプルとして貰っていたのでそれを使った。




 サイズをどれくらいにしようかと、設計。写真のようなサイズを、八角形とした。
網目は、496ミクロン、線径0.23mm、材質SUS304。

 結果はちょっと大きすぎた。ソバ打ちが巧くなって一回辺りの量が多くなれば最適な良いサイズになるかも知れない。枠は、ウツギを木釘として削りだし、強度を増すようにボンドを使い打ち付けた。仕上げはサンドペーパーを掛け、クリアオスモカラーを塗った。
 それに網を固定するのに難儀した。溝を切ったが網を合わせるのが上手くいかず、少したわみが出た。それでも何とか出来た。

 使い勝手を試さねば!

 
 

2011年3月2日水曜日

携帯の箸置き



マイ箸ケースに箸置きを

 箸ケースを作っているが、箸を入れたときスペースが出来た。アッここに箸置きを入れたらいいなと思い、早々に作ってみた。ケースの竹の大きさによって箸置きの構造、サイズを考えねばならなかったが何とか第一作が出来た。

 一つ一つケースに合わせて作ることになりそうである〜〜〜

箸ケースに収めた状態

箸を置いてみた状態




2011年2月25日金曜日

練鉢の作り方

練鉢の作り方

一般に練鉢は栃を使うという。
大きな栃を切り倒し、冬の雪の多いときに里に下ろし、2,3年寝かして、更にサイズにかっと、芯を取って更に数年寝かす。その木を使って図のように削り出すという。

 木の輪切りではないと言うことを知った。

寒いところの木が良いものである、と。





画像投稿チェック

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上手くいっている!