2011年1月8日土曜日

天声人語<箸の持ち方>

 箸の持ち方についての記事が出ていた。


2011.1.8日天声人語
 地域の小学生との食事会に出たご高齢が、箸使いのお粗末を嘆いていた。持ち方が定まらず上手に挟めない。だから突き刺したり、口元まで運べず食器に顔を寄せたりする。気になり出すと色々あって、「どうにもねえ」と案じ顔だった▼箸使いの苦言や意見は古くて新しい。ずいぶん前にも永六輔さんが、料理番組に出るタレントがきちんと箸を使えないと叱っていた。「親が教えていない。先生も注意しない。結局、いい年をして満足に箸を使えない」▼最近の内閣府の調査でも、お粗末を裏付けている。歳以上を対象に調べたら、持ち方を正しく答えられたのは58%だったそうだ。2本のうち1本は動かさず、上のを親指と人さし指、中指で動かす。そうした基本も、持ち方を知らねば始まらない▼正しく持ってなお、箸には禁じ手が多い。差し箸、寄せ箸、迷い箸。嫌いなものをのける「撥ね箸」、食べながら人や物を指し示す「差し箸」など、手元の作法書によれば30を超す。昔のお嬢様は、1センチ以上ぬらさぬようにしつけられたそうだ▼そんな箸に欧米人は神様を見たらしい。フランスの思想家ロラン・バルトは「箸をあやつる動作のなかには、配慮のゆきわたった抑制がある」と言った。それに引きかえ西洋のナイフとフォークは、槍と刀で武装した狩猟の動作である、と▼バルトはまた、箸には母性や、鳥のくちばしの動作も見た。そんな川柳がある。<栗飯の栗母さんの箸が呉れ>森紫苑荘(もりしおんそう)。上手く操れぬ大人が増え続ければ、優しい光景も消えかねない。

 
 箸を作って友達にあげたら、持ち方がやはりおかしかった。「彼にはこんな箸にしたらいいかも」と構造なるものを考えて作ってあげた。すると「そんな箸が欲しかった」といって喜び、上手く挟むことが出来たという。構造って言っても何のことはない、頭から先まで一直線の箸にし全体が隙間無くくっついただけのことである。人差し指と親指に挟んでいるだけでありそれで挟んでいるから太さが次第に細くなっていると手元の部分が揃っていると先が開いてしまっているのである。それを無くす構造にしたのである。

 やはり箸の持ち方は小さい頃から教えないとダメですね。箸を持ち始める2,3歳の頃からかな〜。

2011年1月7日金曜日

コウヤボウキ







 コウヤボウキを採ってきた。今年のコウヤボウキは少し短いようである。花は全部の木に付いているわけではないことを知った。雄雌の木があるのであろうか。米粒の半分くらいの小さな綿芽が付いているのが特徴であるが、今年のは更に小さいようである。採る時期があるのであろうか?

 この場所は、落葉樹を集めて堆肥にされているようで、毎年下草をカットされているという。「これは昨年成長したものだ」と近所の方だ教えてくれた。コウヤボウキは木であるから2,3年そのままだったらもう少し大きくなるのであろうか?
 ここは広く、刈られていないだろうという辺りまで行ってみたが、そこは少しは大きいようである。今年のは40cm位が大きいものである。

 小さくても良いけど・・・どんな箒になるか楽しみである。黒竹にセットした箒は趣がある

 花の付いている枝を一握りほど集めてドライフラワーとして部屋に飾った。2011/01/07。

2011年1月4日火曜日

コウヤボウキの花

 コウヤボウキの花を見に行ったがもう遅かった。昨年から気になって何度が見に行ったが、もう遅かった。昨年11月頃だったろうかそのときは全く花芽も付いてなかったので春でないと咲かないのであろうかと思っていた。それでも気になり正月3日に見に行ったのである。葉は枯れていたがまだ付いていてその先に蕾んだ花が付いていた。もう落ちるのかな。そんな思いをしながら数輪を採ってきた。部屋に一晩そのままおいていた。次の朝何とその枯れたような蕾が開花していた。ピンクの花白い花、きれいな花である。生きていた花であった。早々に花瓶に挿して愛でた。

ホウキグサ(コキア)

 少し緑の残っているコキアを乾燥させ箒にしてみた。次のようなことを感じた。

  1. 枯れた状態が黒っぽく美的に見えない
  2. 枝は硬そうで弾力がある
できた状態で上記のことが

箸データベース2011/01/02現在

 正月で最近作った箸のデータベースを追加した。

87膳

コウヤボウキ




 1月3日コウヤボウキの花を見に行った。ところがもう葉は枯れて花も蕾んでしまって残念だった。数本蕾の付いたコウヤボウキを採ってきた。ところが一晩部屋に置いていたら朝になってその花が開いていた。早々に花瓶に挿した。緑の葉の花を昨年から期待していたが思わぬ現象のコウヤボウキを知れたことも嬉しかった。