2011年3月18日金曜日

東北関東大震災>安否


若林区の早川さん達無事だった!


先ほどメールが入った。一安心である〜。明成高校の石丸先生も。


From:   早川
Subject: Re: 地震
Date: 2011318 22:53:42:JST
To:   志波

志波靖麿様
  早速のお見舞いありがとうございました。やっとメールが出来るようになりました。それにしても大津波の恐ろしさは、凄いというほかありません。当会の仙台湾内の50の調査対象海岸の砂浜は、すべて消滅してしまいました。復旧するのは、いつのことになるか?想像がつきません。今まで収集したサンプル砂は、貴重な財産になると思います。
  私事:自宅の家具や家電は吹っ飛び、食器や本類が散乱、足の踏み場がない状態でした。幸い家族(夫婦・子供2人)全員怪我もなく無事でした。13日に電気・水道が復旧し自宅で生活しております。今は後片づけに汗を流しています。物資不足でサバイバル生活ですが、これも貴重な経験と楽しむようにしています。とりあえず御礼と近況報告まで。



東北関東大地震


計画停電で俄の行灯



 停電のためにロウソクは準備していたが、巧く燃え上がらず灯りが弱くなった。ロウソクは琴ヶ浜に漂着していた太いロウソクである。漁船が使っていたものであろう〜。

琴ヶ浜で拾っていた3cm直径ほどのロウソク


 大森銀山の竹下ブリキ店から貰っていたカンテラを灯そうかともおもったが、灯油を入れるのも暗い中無理と判断。

 竹下ブリキ店で、油は菜種油ということを聞いていたので、使い終えたサラダオイルを使って見ることにした。芯は木綿のタオル。化繊は駄目であるということは実験で知っていた。

 油皿は、広島の友達から1月に贈ってもらっていた牡蠣の蠣殻である。石見銀山の間歩で初期のころ使っていたのはサザエ殻であるという。その縁に、アルミの針金で芯を固定して灯した。箸の材料(杉材)を使い、適当な太さ、長さに切り小さな木ネジで簡単に止め、糊を木に塗り四角く障子紙で囲う構造として俄に作った。
 ランプ皿は直径35cm、深さ3cmほどの水鉢にセットしそれに四角柱の行灯を乗せ、火を囲った。

左:缶詰缶 左:蠣殻
芯はアルミ線で綿布を固定した
油が無くなるまで燃やしていないので
最後の芯がどのように燃え尽きるか〜


 ロウソクよりも火も高く明るく、使える。琴ヶ浜で体験した行灯を俄に作った。作り終え、さ〜点灯という時に、通電した。それでも電気を消して灯してみた。良い雰囲気である。
障子紙で囲った四角筒の行灯
写真では暗そうですが、結構良いです〜




2)行灯をつくる新しい研究課題が出来た

 安全なカンテラ
  オイルタンクのサイズ、容量
  芯の誘導法:金属筒、陶器(セラミックス)ーーーアルコールランプを参照
   パイプにしているとオイルが無くなっても炭化は進行しない?
  芯のサイズ
  芯の材質
   グラスウール
   藁、葦など(広島の友人の使用材)天然物
   木綿布
   竹や竹炭など
   和ロウソクの芯は何
  転倒しても燃え上がらないカンテラ構造
  転倒したら火を消す方法

 オイルの種類
  価格
  熱量
  輝度/ml
  灯油
  サラダ油
  オリーブ油
  燃焼匂い
   アロマを混合したらどんな香りがするだろうか?

 行灯の囲い
  障子紙
  薄い白布
  形状
  火元と囲いの安全な距離と明るさの関係

 行灯の構造
  円筒
  角(四角、六角〜)
  不定形

 提灯?


3)廃油の利用
 
 いままで天ぷら油は、堅め剤で固めゴミとして捨ていている。しかし、今回の経験で巧く使えば、

  1. 玄関先の街灯や庭の灯籠灯りに使えるかも知れない。
  2. 暖房油に使えないか。

そのためには、第一に安全なカンテラの研究である。



 

砂嚢の砂の形は?


砂の研究
-砂嚢への好奇心-



 6月10日ビーバーどの焼き鳥屋さんから紹介してもらった鶏肉の処理会社へ行ってきた。前日に電話して、15日に良いですということでミュージアムの車で出かける。電話で道を聞いていたが、間違えて三瓶の方へ行ってしまった。田舎であり、民家も少なく、訪ねることもできず、電話もないのでこんなときは都会と違って不便である。しかし、田舎でありちょっと訪ねるとその場所はすぐにわかった。これがまた田舎の良いところである。一軒の道路沿いの民家に飛び込んだ。丁度、お茶飲み話しをしていた老人がおられて、最初はわからなかったが、「あ、それならもう少し下って最初の橋を左に入って行けば一本道で、2キロくらい行ったところですわ。ちょうどこの山の裏あたりですが」私は行き過ぎたことがわかった。その橋はすぐにわかって、一本の幟が立っていて、目的の工場もすぐに見つかった。山の中の小さな工場であった。
 工場のスペースに車を入れた。事務所は、工場の向かい側にあり、錆びた鉄の外階段を上がった所である。車を停める音で事務所の窓が少し動いた。
 「お邪魔します」二階の事務所のドアを開けた。「ハイ、、、どうぞ」30歳後半だろう事務員の方が一人事務を執っておられた。「ミュージアムから来たんですが、、、」「ハイ、部長から聞いております。どうぞ。今日の鳥は、平鳥ではないのでどうだろうか?」私が気にしていたことであった。平鳥とは路地で飼われている鶏のことである。この鳥だったら、砂嚢には砂が入っていないだろうと想っていたのである。きっと、あの焼き鳥屋さんが先日電話されたときに話題になって、「地鳥と平鳥では胃袋の中がちがうだろうな、、、?」「わしらも気に留めていなかったが、何でこんなところまでしらべられるんだろう、、、」なんて話しが持ち上がっていたのであろうと、その事務員の方のその話しから伺えた。工場長に話しがついていますので工場へ行ってください。「あの、これほんの少しですが皆さんで召し上がってください。」「や、すみません、ありがとうございます」
 「工場?」車を停めたところがそうだとは思ったのだが、人がいるような気配はまったくなかったが、それでも機械があり、使った様子は窺えた。入り口とは思えないような引き戸の扉を開けてはいると、7人ほどの人が向かいあって二列で肉を処理されていた。「あの、、、」「はい、どうぞ」「お忙しいところ申し訳ありません」「用意していますので」と30歳くらいの若い工場長が仕事を中断してきた。私の姿をみて、「ちょっと待ってください」といって、白い長靴を持ってきてくれた。長靴に履き替えて作業場に入った。作業場の一番奥の所へ案内してくれた。皆さんが一斉に会釈してくださり、私も遅れずに挨拶した。室内は鶏の肉の匂いが漂っていた。あまり見たことの内、赤い肉で、「あ、これがさんべの鳥なのか、、?」と、左手にその盛られていく肉を見た。 そこには、洗面器いっぱいの砂嚢が用意されていた。工場長はすぐに砂嚢の切り方を見せてくれた。「これは地鳥ではないから、牡蠣がらばっかりだよ」その通り、蛎殻が入っているのが見られた。切られた砂嚢の中が、黄色になっていたのには驚いた。これは餌に栄養剤などが入れられているのだろうかと想像した。
 一人の50歳くらいの奥さんが、白いゴムのエプロンを私に掛けてくださった。「軍手もどうぞ。」真新しい軍手が用意されていた。「けがするといけませんからね」「そうですね。ありがとうございます」わたしは肉が滑るからかとおもった。数人の人が、左手に軍手をしていた。
 すぐに、処理に取りかかった。包丁は相当に使いこなされているようで、刃先はもう柄のところまできているようなものであった。しかし、良く切れた。やはり事務員の方が言われていた通り、そしてわたしが想像していた通り、胃袋からは砂らしきものは見えなかった。切りながら、どんな形状になっているだろうか。丸くなっているだろう?丸くなっているというのは、全部ではなく、丸いものも角張ったものもあるだろう。だって、いま食べたとき、この運命になったものもあるはずである。そうなると、もまれていないはずで、砂や牡蠣がらは角張っている。そうか、そうなると、想像していた粒子の丸さというのは、どれくらいまでになっているのだろうかと、考えていた。よく見ると、餌がたくさん入った砂嚢、少ししかないもの、いろいろであった。地鶏のものも調べてみたいとも思う。
切り開いた砂嚢の内部


砂嚢の中から得られた砂

 切ったのは全部で43個あった。これでどれだけの物が取れるのだろうかと楽しみであった。途中、デジカメと普通の写真を数枚撮った。ひらり手の軍手は、鳥の脂で黄色くべた付いていた。切ったものを水洗いした。洗面器の中で何度かデカンテーションした。黄色いものは、トウモロコシの餌でもあった。しかし、砂嚢の表面は黄色みを帯びていた。軽いものがどんどん流れていった。そこではやはり砂らしきものは見えなかった。片手の手のひらに納まるくらいの砂、貝がとれた。
 工場長がビニール袋を出してくださった。一時間も掛からずに私の仕事は終わった。プラスチックスのまな板や包丁、片一方の軍手を洗って、お礼を言って作業場をでた。事務所に上がり、挨拶をする。「とれましたか」「え、貝が多いようです」「そうでしょう、、、今度地とりが入るのは何時かな、、、」カレンダーを見ながら、地鶏だったら砂が入っているだろうことを気にしてくださった。「今月はもうないですね」「、、、ありがとうございます、、、今月は私もいませんので、またのときにお願いします。安田部長さんによろしくお伝えください。ありがとうございました」鉄の階段を、トントンと響かせながら降りていった。会社の周りの写真を数枚撮った。有限会社内外食品。
 途中、山道の地名の入った看板を記念に写真に収めた。牛尻とあった。
帰って、ルーペでよく見てみた。大半が、白濁色の2-5ミリ程度の物であった。透明感のあるいわゆる珪砂は全くといってよいほど入っていなかった。それでも注意してみると、1ミリ程度の珪砂が入っていた。それは角張っている。「?珪砂は硬すぎるのだろうか、、、それとも他が多いから珪砂は表面の摩耗がされないのだろうか、、、白色の物は、貝なのだろうか、それとも長石なのだろうか。長石なら、最初から餌の中に混ぜられているのだろうか、貝が摩耗しているが、それはカルシュームを取ることになる。、、、」「砂が入っているのと、このように貝が入っているのでは、消化力がちがうのではないだろうか。そうなると、鳥の成長も違ってくるだろう」と、餌の開発についての興味が湧いてくる。砂がたくさん入っているなら、同じ胃袋の動きでもそれだけ簡単に消化されるに違いない、、、粉砕機の構造を考えた発想である。それにしてもこの貝や石は、どう体内を動いていくのだろうかと想像した。
 2000.6.18、志波

琴ヶ浜の砂はどこから(2)



琴が浜の海底の砂をサンプリング

琴ヶ浜の海底砂のサンプリング位置
〜琴ヶ浜の砂はどこから(1)につづいて〜

 琴が浜の砂が海側からきているとする説があり、砂の動きを考えると一理あると思われる。図のような位置で、海底の砂のサンプルが採取できた。
 その写真を上図に示したが、琴が浜の沖にいくにしたがって、
(1)粒子は細かくなり
(2)粒子の形がイレギュラーに
なってきていることがわかる。
 このことは、琴が浜の砂は、海側から流れ込んできているとは考えにくい。もし、海側からだとすると、理論的に考えて、沖の方が荒いはずである。結果は明らかに逆である。
 琴が浜の砂は、
(1)陸側から来たと考えることが
(2)琴が浜の砂は、沖へ流れ出ているというこも無い。
 現在の琴が浜の砂は、ここに砂ができた太古の昔からの砂であると考えられる。
 このような仮定をすると、琴が浜の砂が、こんなにも美しい光沢を帯び、そして良い鳴り砂になっていることの説明がつく。
 もし砂の出入りがあるとするならば、折角洗浄されたものが隣の浜に移動してしまい、そして供給が無ければ砂は無くなるであろう。もし、浜に新しい砂の供給があるなら、たとえば、言われているような江の川から今も流れ込んでいるならば波の洗浄力で磨かれるには時間が短すぎるであろう。そして鳴り砂になることは無いであろう
 このことは、人工鳴り砂洗浄実験を考えても理解できる。短時間の砂の洗浄では人工鳴り砂はできない。次々に新しい砂を追加することはしない。最初の砂を長時間洗浄し続け、長時間同じ砂を摩擦洗浄し続けなければならない。砂が無くなったからといって、新しい砂を追加してはいけない。
 もう一つの例を示そう。わたしは、鶏の砂嚢を考えた。砂嚢を調査するまでは、きっと砂嚢に入っている砂は、丸々しているのではないかと、砂嚢の中の砂を観てみたくて仕方がなかった。そのことを昨年実現できた-大田市、(有)中外食品にお邪魔して、砂嚢をその場で解体させてもらったが、実際は、角張った砂(貝殻)がたくさん入っていた。逆に円みのある砂は少なかったのである。これは考えればすぐにわかることである。歳取った鶏はきっと砂嚢の中の砂はすり減っているだろうと期待が膨らんだが、その鶏でさえ、胃袋に入って
http://www.f5.dion.ne.jp/.yshiwa/singigsand/kotogahamaseabottom/kotogahamaseabottom.htm (2/4) [2003/04/09 20:06:32]
いる砂粒は、殺される数時間前に食べた餌の中の砂が入っているのである。これでは円みのある砂になるはずはない。
 琴が浜の砂は、鶏の砂嚢の中の砂の考え方と逆である。まさしく海は大きな洗浄装置なのである。その砂は太古の時からそこにあり、洗浄されていると考えてたら琴が浜の鳴り砂の素晴らしさが理解できるではないか。これが琴ヶ浜の鳴り砂が素晴らしい音を発しているという理解のための私の結論である。
 琴が浜の砂は、何万年もの昔からのもので、その頃から今日まで絶え間なく海の波の運動で洗い続けられてきているといえる。そしてこれからも永遠に洗い続けられるであろう。
 砂浜の幅が狭くなったとか広くなったということがいわれるが、そのことが事実ならば、海底の砂の位置がこの浜の範囲内で移動しているだけだと推測される。人口リーフで浜が狭くなることはあるにしても、砂が琴の砂が、浜全体として無くなるということも考えられない。
 砂の写真を見てわかるように、沖にいくにしたがって粒子の形が角張ってきている。このことは砂の動きが弱いことと、砂同士の接触がほとんど無く、擦れ合っていないことを意味し、砂の動きも小さいと考えられる。海底では鳴り砂になる洗浄効果は無いのである。
 この結果から、砂の摩擦洗浄は、波打ち際の砂の動きによってのみ行われている、と結論つけられる。
 湿式の粉砕を考えた場合、どろどろのスラリーで粉砕すると、粒子同志の接触回数が増え、粒子の表面が丸みを帯びてくるという研究結果を得ている。これはラッピング用研磨材をつくる場合の重要なノウハウである。自然の鳴り砂は、このような機構で擦れ合うことにより、堅い石英粒子に豊み、表面の異物が除去されていき、光沢のある砂粒へと変っていく。
 これが鳴り砂の生成のメカニズムである。

 あの寄せては返す波
愛は永遠にという言葉があるが
浜の砂のように絶え間なく擦れ合ってこそ
素晴らしい愛が交合い成長するのであろうと思えてくる
愛は、絶え間ない波の動きのように生き続け
そこに鳴り砂の砂のように光輝く愛があってこそ、永遠なのである
お互いが丸くなり、相手を理解し許し合える間になってこそ
そこにほんとうの愛がある
 
http://www.f5.dion.ne.jp/.yshiwa/singigsand/kotogahamaseabottom/kotogahamaseabottom.htm (3/4) [2003/04/09 20:06:32]